第1章:カミさんの「日本の工場って減ったわねぇ」
いや〜、うちのカミさんがね、ある日ふとニュースを見ながら、「昔はこの辺にも工場がいっぱいあったのにねぇ」と言ってたんです。
そう言われて私も思い出しましたよ。子どもの頃は町工場の音が聞こえてきたもんですが、今じゃ静かなもんで。跡地にはマンションが建ち、工場の看板は次々と“閉鎖”の札に変わっていった。
これが「構造改革」ってやつの“果て”だったのかもしれませんな。
第2章:グローバル競争という名の“自然淘汰”
90年代以降、日本は「グローバル化」に舵を切りました。自由貿易、規制緩和、効率化──どれも“時代の要請”とされてきました。
でもその実態は、“強いものが生き残り、弱いものは消えて当然”という“自然淘汰の論理”を、国が容認してきたって話です。
結果として、家電、半導体、造船──かつて“日の丸”が輝いていた分野が、次々と競争に敗れていった。産業を守るどころか、「過保護」と批判される空気すらありました。
第3章:「選択と集中」は誰の選択?
産業政策でよく聞くのが「選択と集中」。でも、誰が、どこで、何を選んでるのか……その説明はほとんどされません。
たとえば「EVと電池に注力」と言えば聞こえはいい。でも、一方的な消費側にまわっちゃっているのが実態で、その裏で「内燃機関は切り捨て」「町の整備工場は衰退」──そんな現実が起きてる。
内燃機関(エンジン機構)は日本の自動車産業を支える技術で、世界をリードしているのにですよ。
カミさんが「次の車はEVにしたいけど、近くの整備屋さん、もう閉めちゃったのよ」と言ってたとき、私は思いましたよ。「誰のための政策なんだろう」とね。
第4章:産業補助金と“新しい利権”
最近では、「成長産業支援」として、政府が巨額の補助金を出しています。半導体、バイオ、AI──どれも重要だとは思いますが、私が気になるのは、「また利権の構図になってないか?」という点ですよ。
特定企業と政治家、官僚がつながって、予算が特定の“勝ち馬”に流れる。それで「支援した」って顔をして、実際は市場の多様性を奪ってないか──そんな疑問がぬぐえませんな。
第5章:産業とは“人”と“地域”の営み
産業ってのは、単なる「成長率」や「世界シェア」じゃない。そこに働く“人”がいて、支える“地域”があって、ようやく産業ってものが根を張るんです。
こういう話の時に私は、あの松下幸之助が語っていた「企業は社会の公器」って言葉を思い出しますよ。
「グローバル基準」ばかり追いかけて、「地方の工場」「町の整備屋」「技術を受け継ぐ中小企業」──そういう“日本の底力”が削られていったのは、悲しい話ですよ。
うちのカミさん、「隣のご主人、仕事なくなってコンビニで夜勤始めたって」って話してましたが、それが“産業政策の現実”だとしたら、なんとも切ないもんですな。
第6章:未来をつくる“見えない手”のあり方
私ゃ思うんですよ。「市場に任せればいい」って声もありますが、現実の社会は、そんなに単純じゃない。
「育てる産業」は、放っておいて育つもんじゃない。政治が、“どこを支え、どこで撤退するか”を決める以上、そこには透明性と説明責任がなきゃいけない。
潰すか育てるか──それを“誰が、どう決めるのか”。
私は、「静かに消えていく町工場」を見過ごすわけにはいきませんな。
日本は古くから、自分たちの手で社会を築いてきた。その根底にはいつの時代も、その時代なりのものづくりがあった。日本のものづくりの力は、世界一のはずです。
でも、グローバル化の中で、それを日本は捨ててきたようなもんだ。本当にそれでいいのか?
私ゃ思いますよ、日本が再び立ち上がっていくためには、ものづくりを、もう一度取り戻さなきゃいけない。そこにしか、この国の“生き直しの道”はないんじゃないですかねぇ。
私たちが今、思い出すべきなのは── あの旋盤の音、手作業で仕上げた部品、町工場の片隅で汗を流す人々の姿。
そこに、日本人の誇りが宿っていたはずです。
そしてそれは、いまも私たちの中に、静かに息づいている。
ものづくりの火を絶やさぬように──この国の未来を、私たちの手でまた築くために。
なにも油にまみれて、ものづくりしようってんじゃないんですよ。 今の「時代なりの日本にしかできないものづくり」があるに違いないんです。 それを取り戻すべきだと……。
“誇り”ってのは、ただ懐かしむもんじゃない。過去から未来へとつなぐ、その手を離さないこと──それが、本当の継承じゃないですかね。
誰が決める?
そりゃぁ、私たちですよ。