【安全保障】守るとは何か──国と個人のあいだで

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【安全保障】守るとは何か──国と個人のあいだで

第1章:カミさんの避難訓練と自衛隊賛美

いやぁ〜、この前うちのカミさんがね、自治会の防災訓練に参加して帰ってきたんですよ。「自衛隊の方々って、ほんと頼りになるのねぇ」と目を輝かせてましてねぇ。「あの人たちがいるから安心だわ」って。

でも、その口で「でも軍隊なんて持ったら、日本も戦争に巻き込まれちゃうでしょ?」とも言うんですよ。どっちなんですかねぇ……“頼りにしたいけど、存在は不安”という、ありがたくて怖い“お守り”みたいな扱いになってるんですよ、自衛隊って。

第2章:自衛と軍事の曖昧な線引き

私ゃね、「守る」って言葉ほど、日本で曖昧に使われてる言葉はないと思うんですよ。たとえば、「専守防衛」ってやつ。攻撃されない限りこちらからは撃たない、という姿勢ですが、それが本当に「守る」ことになるのか……。

北朝鮮からミサイルが飛んできたとき、Jアラートが鳴っても、「落ちてくるのを待ってから対応する」って話になる。それは“防衛”というより“後始末”じゃありませんかねぇ。

防衛ってのは、本来「攻撃されないように備える」ことだと思うんですよ。そこんとこ、日本はずいぶんと気を使いすぎてる。気を使いすぎて、“守る手段”が逆に縛られてるようにも見えるんですよ。

第3章:日米同盟の現実と期待のズレ

カミさん、Netflixの海外ドラマを観てて「やっぱアメリカってすごいわねぇ」なんて感心してるんですが、ニュースで米軍基地の話が出ると「アメリカの言いなりは嫌よねぇ」って言うんですよ。これがまた、不思議な話でして。

日米同盟ってのは、日本の安全保障の根幹です。でも「守ってもらう」ってことは、「依存する」ってことにも繋がる。逆に、「独立」した安全保障を求めようとすると、「軍備拡張は危険だ」となる。どちらにせよ、突き詰めれば“自分たちの手で守る”という覚悟からは逃げてる気がするんですよ。

アメリカの“抑止力”をあてにしてるってのも、よく考えれば相手の判断に命運を委ねてるって話ですからねぇ。何かあったとき、「やっぱ今回は関与しないことにした」なんて言われたら、日本はどうするんですかい。

第4章:「国を守る」は「生活を守る」か?

防衛の話をすると、すぐに「軍靴の音が聞こえる」とか、「平和が脅かされる」とか、そんな声が上がる。でも私は、こう思うんですよ。「国を守る」ってのは、「生活を守る」ってことだと。

うちのカミさんが安心して鍋の準備をして、私がぬるめの風呂に浸かれるのも、「脅かされない空気」があるからなんですよ。それを支えてるのが、警察であり、自衛隊であり、外交であり、場合によっては軍事的な備えなんです。

でも、どうも今の日本では、その現実に向き合うこと自体が“危ない考え”みたいに扱われる。議論するだけで「戦争したいのか!」って言われる。だからこそ、ちゃんと話し合わなきゃいけないと思うんですよ。「何を守りたいのか」「どう守るのか」──この2つを、具体的に。

第5章:国と個人、そのあいだの覚悟

戦後の日本は、「個人の自由」が何より大事だと教えられてきました。でもその自由って、どこか「無防備な平和」とセットで語られてきたように思うんですよ。

本当に自由を大切にするなら、それを“奪おうとする力”から守る覚悟も要る。国ってのは、個人の集まりですからね。その一人ひとりが、“守る”ってことを他人事にしちゃったら、結局誰も守れない。

カミさんには、「何よ、また難しい顔して」って笑われましたがね。でも私は思うんです。「国を守る」ってのは、結局、「カミさんの鍋と、俺のぬる湯」を守るってことなんじゃないかと。そりゃ、大事なもんですよ。

 


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