第一章:素朴な問いかけ──「反対なのか?」という簡単な言葉
いや〜、今朝カミさんがね、「この国って、多様性が進んでてすごいわよね」なんて言ってたんですよ。
ところがその5分後には、「でも、子どもがそういう教育を受けるのはどうなのかしら」とも。
……まったく、朝から矛盾と向き合うのも疲れるもんです。
そして、今わたしの元に届いた問いがこちら──「結局、日本保守党はLGBTに反対なのか?」というもの。
どうもこういう問いってのは、一見シンプルに見えて、実は奥が深い。
しかも今回この問いをくれたのが、私の古く、心を通わせた友人。
リベラル的な感性にふれる機会が多いのが、一般的なごく普通の暮らし。
こうした視点を大切に受け止めたいと思うわけです。
第二章:LGBT理解増進法──この法律が火をつけた
まず前提として、日本保守党がなぜ生まれたか。
その最大のきっかけが、2023年に成立した「LGBT理解増進法」です。
この法律は、
- 「LGBTへの理解を社会に広げる」ことを目的に掲げ、
- 教育や行政、企業に対して、その方向性に沿った配慮を求める内容でした。
一見すると良さそうに思えるこの法案。
しかし、この無理のある法案が成立したことにより、日本の危機を感じた人々が立ち上がらざるを得なかった──それが日本保守党の誕生だったのです。
なぜか──
- 日本の伝統的価値観を軽視していないか?
- 日本の歴史的な寛容性や価値観をミスリードさせることになっていないか?
- 成立までのプロセスは、議論を封じ、党議拘束で縛り、民主主義の基本手続きを無視したものではなかったか?
そう、日本保守党の誕生は、「反LGBT」ではなく、「この法律の性急で危うい制定プロセス」と「その背後にある思想的押し付け」に対するカウンターだったわけです。
第三章:ネガティブリスト法の怖さ──“理解しないといけない”という義務化
このLGBT理解増進法は、いわば“ネガティブリスト型”の法でした。
つまり、「差別や偏見をしてはならない」という否定の網を広げ、その中で“理解”を強制する。すると何が起きるか?
たとえば、
- 教育現場で、性自認が揺れる思春期の子どもたちにまで、同性愛や性転換を“教えなければならない”という空気が生まれる。
- 宗教的・道徳的に違和感を覚える人が、「理解しない自分が悪い」と感じてしまう。
- 公的機関や企業が、LGBT対応マニュアルを急いで整備し、“意識のズレ”を理由に不利益や摩擦が生まれる。
これは「寛容」どころか、別の形の“不寛容”を生む土壌になりかねないんです。
本来、日本には、おすぎとピーコ、美輪明宏といった“性の多様性”を象徴する存在を、自然に受け入れる文化があった。
異質なものとして扱わず、このような議論が必要ないほど、一緒に生きてきたんです。
その歴史は、古来の歌舞伎や武士の文化、宗教儀礼などにも遡って確認することができる。
それを、欧米の人権感覚で“上書き”していく危うさ──日本保守党は、ここを問題視したわけです。
第四章:では、日本保守党はLGBTに反対なのか?
さて、本題に戻りましょう。
日本保守党はLGBTの存在に「反対」していません。性の多様性そのものを否定しているわけではなく、
- 「教育にどう扱うか」
- 「制度としてどう導入するか」
- 「どこまでが個人の自由で、どこからが国の介入か」
──これらの線引きをめぐって、「そのやり方が乱暴すぎる」と主張しているんです。
日本保守党のLGBTに関する政策
LGBT理解増進法の改正(特に児童への教育に関する条文削除)
法律がすでに成立した以上、民主主義の手続きを守りながら、必要な改正を進めるというスタンスです。
つまり、これは「破壊」ではなく「改善」なんですな。
まったく──強引な制度化は、理解ではなく、“萎縮”を生む。そう言わざるを得ません。だから私はこう断言します:
LGBTに反対しているのではない。
“行き過ぎた理念先行の制度設計と、その成立プロセス”に問題がある。