第一章|カミさん曰く「国産車はやっぱり安心よねぇ」
いや〜、今朝カミさんがね、「やっぱり国産車がいちばん安心なのよ」とか言ってたんですよ。でもその5分後に、「でも日産って最近あんまり良くないんでしょ…?」と続けたもんだから、私は思わず「それ、どっちの話してるんだい」と返したくなりましてね。
で、そんなタイミングで飛び込んできたのが、日産の追浜工場と湘南工場の閉鎖計画のニュース。追浜ってのはね、横須賀、つまり神奈川の誇りみたいなもんでして。そりゃまぁ私も「ブルーバード」なんて懐かしい名車を思い出しましたよ。ところが今回は、それを全部手放すというじゃありませんか。まるで“我が家の蔵書、ブックオフで一掃”みたいな潔さです。
しかも、海外でもメキシコやインド、南アフリカにアルゼンチンまで。完成車の工場7カ所を削減?こりゃもう、車を売るよりも、拠点を畳むほうが得意になっちまった感じですな。
でもね、そもそもこのニュース、ただの企業の整理縮小って話じゃないんですよ。もっと大きな“地殻変動”が、こっそり進んでる気がするんですよねぇ。
第二章|創業地の「終わり」が意味するもの
追浜工場ってのは1961年から稼働してたらしいですね。年24万台の能力、EVの先駆けなんて持ち上げられていたのに、今や稼働率4割以下。損益分岐点の7〜8割には遠く及ばないというんですから、これはもう“働かないおじさん”ならぬ“働かない工場”ですよ。
湘南工場も同様、こちらは商用バン中心で15万台の能力。けれど実際はその半分も作ってない。なんだか“やる気のない文化祭準備”みたいな話でしてね。
でも私が驚いたのは、神奈川という創業地からの“全面撤退”という点なんですよ。企業ってのはね、どうしても「地縁」とか「血縁」みたいなものが働くもんです。お世話になった土地には愛着がある。でも今回は、それすら捨てた。
つまりこれは、日産にとって“地元”という概念が完全に消えたってことでしょう。いや、資本主義のルールで見れば合理的。でもそれが本当に良いことなんでしょうかねぇ…。
第三章|「売れない」ことよりも「造れない」国の現実
今回の閉鎖劇、もちろん原因は「売れないから」「設備が余ってるから」なんでしょうけど、それだけじゃない気がしてましてね。
最近の日本って、“物を作る”ってことがだんだん苦手になってる気がするんですよ。コストは高い、電気代も高い、人材も育たない。そりゃ海外に頼るしかないですよね。
でもそうすると、「日本の技術」って何?「日本製の安心感」ってどこにあるの?って話になるんですよ。カミさんが「やっぱり国産よね」って言ってたあの“安心”が、もう形だけになってきてる。
それに政府はというと、EVだのカーボンニュートラルだの言って補助金ばらまくばっかりで、根本的な“ものづくり力”の支援ってのはどこいったんですかねぇ。そりゃ、日産だって逃げ出しますよ、こんな国。
第四章|“リバイバル”はもうこないかもしれない
1999年の「リバイバル・プラン」、ありましたねぇ。カルロス・ゴーン氏の登場で、日本の経営が一気に「合理性至上主義」に変わった時代でしたよ。あのときはまだ、日本にも“蘇生の希望”があった。
でも今はどうでしょう。2025年3月期で6708億円の赤字。しかも2万人規模の人員削減?いや〜、リストラのスケールが桁違いですわ。
「赤字だからしょうがない」って言う人もいる。でもその“しょうがなさ”を作ったのは、結局どこなんですかね?政府の政策なのか、日産自身の判断なのか、それとも“EVシフト”という幻想に踊らされた業界全体なのか。
なんにせよ、「再建」なんて言葉がもはや死語に聞こえるのが、一番切ない話ですな。