大人が読み解く「かわいそうな象」──”多様性”の陰で秩序の境界線を失う日本への警告

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大人が読み解く「かわいそうな象」──”多様性”の陰で秩序の境界線を失う日本への警告

カミさんのつぶやきと、檻の意味

いや〜、昨晩のことなんですがね。うちのカミさんが小1の娘に『かわいそうな象』を読み聞かせてたんですよ。戦争中に、動物園の象を毒殺しなきゃいけなくなった話でね。娘は目を真っ赤にして泣いてました。そりゃそうだ、あんなに大きくて立派な象さんを、わざわざ殺さなきゃならない理由なんて、子どもにゃ分かりゃしませんからね。

ところが泣いてる娘をよそに、うちのカミさんがこんなことを言ったんですよ。「今の日本は平和でよかったわねぇ」と。それを聞いて、私も「なるほど」と思ったのも束の間、その5分後には「最近の外国人が運転する車の事故って、ほんと怖いわよね」なんて。コーヒーが喉につかえそうでしたよ。

どうやら平和やら危機意識やら、場面が変わればコロコロ変わっちまうのが人間ってやつらしい。…とまぁ、そんなわけで『かわいそうな象』の話を聞きながら、檻の存在について考えざるを得なかったんですよ。

檻というものは、ただの動物の生活空間というわけではない。人間の社会秩序と、動物の社会秩序を隔てる境界線なんですよね。

檻がなければ、社会秩序に適合しない他者は、人間に危害を及ぼす。

これ、今の日本に置き換えれば、政府はその秩序の境界線を取っ払おうとしてるんじゃないかと、思わずにいられない。

「多様性だ自由だ平等だ」って聞こえはいいですけど、境界線がなければ、弱い者は真っ先に呑まれちまうって。

檻の存在は、秩序の最後の砦なんですよ。ま、誰もが「檻はかわいそう」って言いたがる時代ですけどねぇ…。

秩序を守る境界線を失いかけている日本

『かわいそうな象』では、空襲により檻が破られ市街で暴れる恐れから、猛獣が処分されました。動物に罪があるわけではないんですがね。

ここに人間の理不尽な事情があるわけです。「先にやらなきゃこっちが危ない」っていう、いわゆる自衛の論理ってやつです。

いかなる理想があっても、結局は「まず我が身の安全」という防衛本能が先に立つ。

それが戦争というものの本当の残酷さなんですなぁ。それでも守るべきものを優先しなければならない極限の状態ということです。

カミさんがよく言う「9条があるから平和なのよ」なんてのは、こういう極限の状態に対応できるんでしょうかねぇ。

さて、問題はここからです。

この物語で檻は「人間社会の秩序を守る境界線」だと先に記しました。

ところが、今の日本の現状は、どういうわけかその「日本社会の秩序を守る境界線」を取っ払っちまおうとしている。

インバウンドや、外国人の就労、最近ではアメリカで拒まれた留学生の受け入れまで表明。

「自由だ多様性だ」という理想が、空しい絵空事だってことは、フランスをはじめ移民問題に苦しんでいるEUを見れば一目瞭然。

そこまで歴然としていることも、日本は周回遅れで、わざわざ泥沼に向かって一直線に進んでいる。

中国が日本の土地をやたらと買い漁ってるって話、ご存知でしょう? 北海道の山林だとか、九州の温泉地だとか。表向きは「ビジネス」ってことになってるけど、秩序を隔てる檻がないもんだから、簡単にに入り込まれているって話ですよ。

うちのカミさんが「多様性が大事」って口では言いながら、「外国の人に近所の土地を買われると落ち着かないわねぇ」なんて呟いてる。

まだ、なんとか「檻がないと危ない」という意識は、かろうじて残ってるってことなんでしょうけど、今の日本に”秩序を守る境界線”は残っているんでしょうかね…。

相容れない秩序との共生は可能なのか

多様性、多様性って、最近はお経のように唱えられてますな。

カミさんが言うには「LGBTも外国の人も、みんな仲良くするべきよ」だそうで。でも同じ口で「駅前に外国の人が集まって騒いでるの見るとさすがに怖いわねぇ」と呟いてるのが現実ってやつです。

境界はなくとも理想を共有すれば平和は守れる、そう信じたい気持ちとは裏腹に、忍び寄る危機もしっかり察知しているようです。

この国の秩序は、長い時間かけて独自に育まれてきたもの。それを守ってきたのが海という境界線だった。

海によって守られながら築いてきた秩序の境界は、移動手段や情報技術の進化、そして多様性を過度に重んじる誤ったポリコレ概念の浸透によって、崩れつつある。

議論も不十分に、秩序を守ろうとする考えを「時代遅れ」だの「排他的」だのと切り捨て、政策が進んでいく今の現状は、あまりに無防備で無責任なんじゃありませんかねぇ。

秩序の境界がなくなったとき、弱者は強者の前になすすべはない。節度を守り協調しあいながら日本の社会に、傍若無人が蔓延れば、日本の秩序が破壊されてしまうのは必然。

国際社会にあっては、強い意志で秩序の境界線を示す必要がある。

尖閣問題や竹島問題が、まさにそのせめぎあいにあることを示す、わかりやすい例と言えるでしょう。

国境線をうやむやにして「みんな仲良く」なんて言ってたら、すぐに足元をすくわれ、乗っ取られてしまう。

社会において秩序の境界線をなくすということは、国境線をうやむやにした領土問題と同じ現象が、そこここで引きおこされかねないという話な訳です。

うちのカミさんは「韓国の文化は素敵」なんて褒めるかと思えば、「でも韓流ドラマは口喧嘩のシーンが多すぎて疲れるわ」なんて言っている。

結局、人間の本音は、「自分にとって居心地よくないものとは、距離をとりたい」ってところに落ち着くのかもしれませんねぇ。

檻の価値と、あいまいな理想

秩序の檻は、排除のためにあるんじゃない。互いを守るためにあるんですよ。『かわいそうな象』が教えてくれることは、戦争という悲劇の巻き添えにあった動物の悲運だけじゃない。

檻という境界線がなくなった状態での共生はありえないということを、動物たちの死を通じて描いている。

檻が壊されるということは、無慈悲な殺戮が引き起こされる危険を考えなきゃならんということなんです。

そうならないために、檻は守られるべきで、ましてや自らとっぱらっちゃぁいけないわけです。

日本の土地買収問題、中国企業の浸透、国際化という美名の裏で揺らぐ国境線。多様性という看板が輝くほど、その影で檻が壊れていくような気がしてなりません。

うちのカミさんの矛盾だらけの発言だって、根っこにゃ「安心して暮らしたい」って願いが透けて見える。檻は誰かを閉じ込めるもんじゃない。安心を区切る境界線なんだと思うんですよ。

ま、私にゃ答えなんて出ませんがね。多様性ってのは確かに大事ですけど、「何でもあり」じゃない。檻を壊せば、動物園も国も、結局は秩序のない野生の社会になるだけって話なんでしょうな。

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『かわいそうな象』を読み聞かせて、檻と秩序の意味をぼやく。多様性の裏に秩序の境界線の必要を見た夜。トレンチ警部補のぼやき。
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