うちのカミさん、気づいてるんですよ
いや〜、うちのカミさんがね、「“国民に寄り添う”って、あれ口癖なのかしら?」って言うんですよ。「だったらなぜ、こっちの暮らしは苦しくなる一方なのよ」って。洗濯物を干しながら、そんなことつぶやいてました。
政治家の“寄り添う”って言葉、最近じゃ“聞き流してもいい言葉ランキング”の上位に食い込むんじゃないですかねぇ。江藤農相の「コメは買ったことがない」発言、そして石破首相の「申し訳ない」→「でも続投です」って対応。
これ、失言の是非を超えてますよ。問題は、言葉と政策、感情と実態が真逆の方向に走ってるってことなんです。
これがまた、空気だけ読んで風は読まない話でして。
「寄り添う」の仮面、その裏の無関心
表では「国民に寄り添う」と言いながら、実際にやってる政策ときたら、厚生年金の強制加入、消費減税の拒否…。それでいて、選挙前には給付金、選挙後には献金バラマキ。
まるで「あなたのことを思って殴ってるんです」と言ってるようなものですわな。まさに“面従腹背”というやつです。
この言葉、前川喜平という元文科省の次官が座右の銘にしてたそうで。いやはや、政治家だけじゃない。官僚もまた、“表向きは丁寧、内実は真逆”のプロフェッショナル。
結局、「国民のため」と言いながら、その実は“自分たちの都合のため”。言葉でガス抜きし、政策で締め上げる。そんな欺瞞がまかり通っている。
これがまた、巧妙な背信の話でして。
失言を責める前に問うべきこと
最近の報道、失言だけを切り取って騒ぐ傾向がありますが、私ゃそれを咎めて済む問題だとは思いません。問題は「なぜその発言が平気で出るのか」、もっと言えば「その発言と政治姿勢が一致してるのではないか」という疑問です。
江藤農相の発言は無神経でしたが、それが彼の“本音”であり、“本体”でもある。問題なのは、その本音を上塗りするような形で、石破首相が「謝ったからOK」とやってしまう構造です。
つまり、言葉のミスではなく、姿勢の問題。国民を“聞いているフリ”をする一方で、実際には聞く気もない。政策にも現れ、発言にも滲み出てる。
メディアが本当にやるべきは、「失言炎上」じゃなく、「発言と政策の整合性を問う」ことじゃないですかねぇ。
これがまた、報じられない真実の話でして。
耳と心、両方閉じた政治の行方
「国民の声を聞く」──その言葉の裏で、実際には耳も心も閉じている政治。声をかけてきたふりをしながら、財布に手を伸ばすようなやり方。
一粒のコメ、一人の生活者、一回の選挙。その積み重ねで築かれてきたはずの日本が、どんどん空疎な言葉で塗り固められていく。
カミさんがね、「うちはコメを大事に炊いてるけど、政治家は言葉を炊きすぎて焦がしてるわよ」って言ってましたよ。うまいこと言うなと思いましたが、笑えない冗談ですよ。
面従腹背、これが今の政治の座右の銘なら、私ゃ「面向直言」を選びたいですねぇ。
これがまた、湯気の立たない飯みたいな話でして。