日本の大学、ハーバード大留学生を迎え入れる真意──外乱由来の“棚ぼた研究”は日本の弱さを映す鏡だ

いや〜、今朝カミさんがね、「アメリカで追い出された学生を日本が拾うって、すごいわねぇ」なんて言ってたんですよ。確かに、トランプ政権がハーバード大の留学生受け入れ資格を取り消したり、補助金を打ち切ったりするって話がニュースで流れてましてね。京都大学や大阪大学が研究者を受け入れるって表明したのも、まぁ、立派なことです。

でも、これがまた「外乱由来の棚ぼた」ってやつでして。向こうで火事が起きて、こっちに飛び火したチャンスを、日本の大学側が随分と積極的な姿勢を見せている。政治家だって「国際化」とか「多様性」とか、格好の看板を掲げるチャンスってことなのかもしれませんが、アメリカ政権と真逆の方向に突っ走るこの動き…。

しかし、こういう受け入れが、日本の研究力を本当に底上げするのか。外乱の余波に便乗するだけじゃ、根っこの弱さは隠しきれないって話なんですよ。

前回は、安全保障的な面から、このニュースを見てみたので、今回は少し違う角度から見て、日本の学問のあり方について考えてみようかと思います。

日本の大学が外乱由来の棚ぼたを歓迎する理由

いやねぇ、そりゃ誰だって世界トップ層の人材が棚から落ちてきたら、拾いたくなるもんです。東大をはじめ、京大・阪大と続々と受け入れ検討表明を出し、この動きが全国の大学にひろがっているってんだから、「外乱由来の棚ぼた人材流入」でお祭り騒ぎの様相です。

さらに研究費に困ってる大学にしてみりゃ、「優秀な外来研究者」ってのは予算確保の絶好の言い訳になるんですな。「ほら、こんな世界的な頭脳がうちに!」と胸を張れば、そりゃ政治家や役人もニコニコするって寸法でしょう。

まぁ、「国際化」や「多様性」なんて看板掲げりゃ、メディアだって拍手喝采。うちのカミさんがテレビ見ながら「日本ってやっぱり器が大きいのねぇ」なんて言ってましたけど、器じゃなくて網を広げてるだけなんじゃないかと、私は思うわけです。

日本の大学は自力で研究力を高められないのか?

問題は、こうした“外乱由来の棚ぼた”で、日本の学術機関は進化できるのかってことなんですよ。大学の中を見てみりゃ、産学官連携ってやつも、どうも利権誘導型になりがちでねぇ。年功序列に学閥支配、忖度文化。研究現場の自由な発想が抑え込まれてるようにしか見えないんですな。

「やりたい研究よりも、お上の顔色見て予算を引っ張ってくるほうが大事」──そんな空気が蔓延してる。結果として、本当に挑戦すべき研究は後回し。で、いざ外から優秀な人が転がり込んでくると、「おお、これで国際化達成だ!」と手放しで喜ぶ。これじゃあ、自前の力は一向に育たないって話です。

なぜ日本は自由な研究に投資できないのか?

聞くところによると、日本の研究予算の分配ってのは、どうにも政治の色が強すぎるようなんですよ。地震予知だのCO₂温暖化だの、「これが大事」って決まると、そこにだーっとお金が流れる。その裏で未知への挑戦ってのは、予算がつきにくいんですよ。

でも、研究ってのは本質的に不確実なものです。先が見えないからこそ価値がある。それを「成果が出る見込みの高い研究」に絞り込むもんだから、研究者は窮屈な思いをする。まったく、困ったもんです。

ネットでは科学者の武田邦彦さんが、「青虫」という隠語で語られる、研究予算を得るために使われる裏金の存在を告発していました。

もし、その「青虫」の話が本当なら、さらに深刻な話です。結局、政治の方向性に沿わない研究は冷遇されるってこと。本来、自由に方向が広がっていていいはずの研究が、こうして一定方向に固定化されてしまうわけです。

欧米との比較──不確実な研究への寛容性

対して、欧米の研究環境はどうかというと…まぁ、完璧じゃないにしても、基礎研究の自由度を守ろうっていう意識はありますな。アメリカならNSFやNIH、ヨーロッパならERCなんかが、成果主義と同時に「異端の研究」も支援する土壌を作ってる。

これに比べると、日本の「成果主義」と「利権型縛り」の二重構造は、やっぱり息苦しい。研究者の自主性や創造性を大事にしない限り、何も新しいものは出てこない。

そんな中で外乱で舞い上がって、優秀な研究者を呼び込んだところで、研究者にとって望ましい環境があるとは言えず、窮屈なところに閉じ込められてしまう。

こうした構造からは何も生まれない

研究ってのは、自由であってこそ突き抜けるもんです。政治やら利権やらに縛られちゃ、どんなに優秀な研究者が来たって、結局は一時の花火。カミさんが言うように「すごい人が来るんだって!」と喜んでも、制度や文化が変わらなきゃ、仮初めの賑わいに終わるだけなんですよ。

ハーバードから来る留学生の受け入れは、一見華々しい。でも、日本の研究界の地力を問うには、むしろ試金石になるかもしれません。外から人を受け入れるだけじゃダメでね。中身を変えないと、何も育たないってことです。

はたして、そうした問題が表面化することがあるのでしょうか…。

性根を入れ直せ、日本の研究界

この外乱由来の棚ぼた現象をどう生かすか。優秀な研究者の受け入れに熱を上げるのもいいが、日本の大学や政治、研究者自身が「使命」を自問するしかないんですな。

日本の学術・研究に携わる人たちは、制度も文化も含めて、内側から変えないといけない。外から来た人材が、日本の研究に本当に力を与えるには、受け入れる側の覚悟が問われるって話です。

たとえば、ノーベル賞を受賞した北里大学の大村智特別栄誉教授の『イベルメクチン』。人類に広く使われることを願って特許権を放棄したのに、商業的に利益が出ないとされる薬は医療現場でほとんど活かされていない。どうも日本の社会というのは、利権につながるかどうかを重視し、研究の成果そのものを軽視する構造があるんじゃないかと思えるんですよ。

こうした現実一つとってみても、私にゃぁ、今の留学生受け入れへの動きが、偽善と利権のお祭り騒ぎに見えてしまう。

奥さんの『優秀な人が来るから大丈夫ねぇ』という言葉。むしろ日本の甘さを象徴しているように、私には聞こえるんですよ

「ハーバード追放研究者の“棚ぼた受け入れ”を喜ぶ日本。だが、自前の“宝の薬”すら活かせぬ現実を知っていますか? トレンチ警部補が日本の研究界の闇を炙り出します。」
#棚ぼた研究 #イベルメクチン #日本の医療 #研究界の闇 #トレンチ警部補 #日本の研究力 #外乱由来の棚ぼた

© 2025 TRENCH CRIATIVE Powered by STINGER