Jinmas chips

オノジンタ年表
↓に

オープンでフリーな人生がテーマのブログを謳うからには
洗いざらいオープンにしないとってことで、かなりじっくり
自分年表を作ってみました。

1971年 9月4日 大手電機メーカーに務める父と小さな英語塾を営む母の間に長男として産まれ不自由なく育つ。
1982年 11歳 初めて女子からラブレターをもらう。お互いの憧れの人は誰かという文通で彼女が真田広之と渋い路線できたので、カッコをつけてデュランデュランと応える。振り返ればこれがボクが音楽の扉を開いたキッカケだった。人生初の有頂天。
1984年 13歳 洋楽三昧の日々。部屋ではFMラジオ、居間ではMTVにどっぷり浸かる。
1985年 14歳夏 NHK-FMの2週間連続で特集放送された「軽音楽をあなたに」でビートルズに出会いギタリストに憧れる。
1986年 14歳冬 貯めたお年玉でギターを買う。初めて買ったギターはTokaiのストラトキャスター。中学校の隣のクラスの女子からバレンタインのチョコをもらう。2回目の有頂天。お礼にレコードをプレゼント。あげたレコードはチャーリー・セクストンの1st。(このレコードが彼女の音楽趣味に大きな影響を与えてしまったことを20年後に知った。笑)
1986年 14歳夏 ギターを買ったものの弾き方がまったくわからず、ラウドネス好きの友達に教えてもらい大きく音楽志向が傾く。
1987年 15歳 音楽志向はもっぱらハードロックとヘビーメタル。毎月ヤング・ギターのギタースコアを一生懸命練習する。高校1年のバレンタインで片想いしていると思ってた女子から思いがけずチョコをもらう。3回目の有頂天。
1988年 16歳 我が家に初めてパソコンがやってくる。NECのPC-9800シリーズ。MS-DOSの使い方がわからず、いきなりHDDをフォーマットしてしまい、親父に大目玉を喰らう。
1989年 18歳 多くのギタリストのルーツがブルースであることを知り、ブルースアルバムを初めて聴く。その時のアルバムがマディウォータースの「ハードアゲイン」。ハードロックよりハードで、ヘヴィーメタルよりヘヴィなサウンドに衝撃を受ける。ギター三昧の高校生活を過ごしたが、ギター練習で養った集中力を受験勉強に活かし、受験戦争を奇跡的に乗り切る。
1990年 19歳 4年間どっぷりと喫茶店でアルバイト。Cafe Jintaの経験的基礎部分はこの時に築かれた。めっちゃ好きな好きな人ができるも片想いのまま、あえなく撃沈。ブルースに暴走。バイト先でブルース仲間と出会い、誘いを受けてバンド活動開始。日本でもっとも歴史のあるライブスポットと言われる「拾得」でブルースバンドがライブデビュー。以後、ライブハウスやバーなどで、月1ペースでライブ活動。この頃に多くの音楽仲間と出会う。このバイト先では大学時代をバラ色にしてくれた彼女との出会いもあり。人生4回目の有頂天。
1992年 21歳春 初の海外旅行でシカゴへ。チェッカーボードラウンジでジェイムス・コットンのライブに感涙。
1993年 22歳 就活開始直前にバブル崩壊。バンド三昧のツケがまわって就活に大苦戦。1年就職浪人を決する。最後くらい政治学を学ぶ大学生としての成果は出そうと卒論だけは頑張り「黒人公民権運動と多元主義」というテーマで取り組むも学びが足らず不十分な結果に終わる。
1994年 22歳夏 どうにか電機系の商社から内定を得る。就職内定受けた翌日、当時付き合っていた彼女にフラれ、ブルース魂に火が付く。
1995年 23歳春 営業職として入社だったが1年目を技術部で研修する機会に恵まれ、コンピュータの基礎をミッチリ学んだ後、予定通り営業セクションへ配属。分野はFA関連。
1996年 24歳夏 会社在籍中も月1ペースでライブ活動す。勤め先の先輩女子社員と交際開始。仕事・趣味・恋愛全てが充実のバラ色人生を満喫の齢24歳。人生5度目の有頂天。
1996年 24歳 プライベートでDos/Vマシン購入。Window95に触れインターネットの扉を叩く。早々にホームページ作りに取り組む。テーマはもちろん音楽。
1997年 25歳6月 2度目のシカゴ訪問はバンドメンバーと。初めてのシカゴブルースフェス、街中にあふれる音楽に感激。ジュニア・ウェルズ、オーティス・ラッシュなど超大物ブルーズマンのライブに感涙。この時、愛器ギルド・スターファイヤをシカゴで購入。現在も愛用中。。
1998年 26歳 先述の社内恋愛彼女から別れを告げられ、再びブルース魂に火が付く。当時一番頻度多く出ていたライブハウス「バック・ビート」のマスターからブルースセッションの主催をやらないかと持ちかけられる。
1999年 27歳 マンスリー開催のブルースセッション活動をホームページで宣伝・公開する。近場・遠方問わず多くのミュージシャンとネットとブルースセッションを通じ交流。このブルースセッションは2006年夏まで続いた。仕事面では営業職としての経験も積み上がり、責任ある仕事を任され、こちらも大いに燃える。
2000年 28歳6月 3度目のシカゴ訪問は音楽仲間とシカゴブルースフェスを見に行くツアーを企画し、ホームページで全国から参加を募る。現地ではシカゴ在住のブルースギタリスト菊田俊介さんに大変お世話になる。余談だがこのツアーを機に禁煙に成功した。
2000年 28歳 彼女なし結婚予定もないにも関わらず、実家近くのマンションを購入。仕事にはやり甲斐、音楽には生き甲斐を感じ充実した生活を贈るも、余暇が無くなっていき、心の中に闇のようなものが広がる感覚を覚える。
2001年 29歳 社内の重要プロジェクトメンバーへの選出など仕事が生活を大きく占めるようになる。やり甲斐を感じつつも心の中の闇が広がる。
2002年 30歳 仕事に忙殺される日々の中、気付かぬうちに鬱状態の進行が進み、音楽への意欲が低下。家族や友人との関係がギクシャクしだす。
2002年 30歳 当時担当していた某メーカー部長との会話の中でオープンソースソフトウェアとLinuxの存在を知り、プライベートで使ってるPCにLinuxをインストールしてみるも、使い方がわからずWindowsに戻す。
2003年 31歳 社内外合同でのFA業界の戦略委員会メンバーへの選出に、更なる仕事へのやり甲斐が膨らむ一方、鬱が同時に進行し精神の衰弱がピークに。家族に目つきの悪さを指摘される。
2004年 32歳 ある日突然、鬱に臥せる。週1度の心療内科通院生活。1998年からのマンスリーブルースセッションだけは意地で続け、辛うじて全てを失わずにすむ。
2005年 33歳 焦燥感の中、本を読む気力もなかったが、何かせねばという思いで漫画に頼ってみる。手にしたのは手塚治虫「ブッダ」「火の鳥」。これが大きく心に染みいり繰り返し読み返すうちに気持ちが楽になる。同年後半には心療内科の先生から勧められたジムでの運動で自分を取り戻し、2年間床に臥せった生活を終える。社会復帰の方法を考え始める。
2005年 34歳 バンド活動を再開し、活動する中で自分の精神の支柱が音楽であることを再認識。音楽に関わる仕事で開業する決意をする。友人や家族との関係も改善する。
2006年 34歳 音楽スタジオ、ライブハウスなどの開業計画を立てては見直すことを繰り返し、カフェの開業に行き着く。この頃に今は祇園にあるBar Ball & ChainのマスターGOMAさんのバックギタリストとして演奏しに行った先で、愛するかぁちゃんと出会う。
2006年 35歳9月 多くの音楽仲間の力を借りて、京都市の北、岩倉の地でCafe Jintaを開業。オープン初日は出会って間もない殆ど見ず知らずだったにも関わらず、かぁちゃんが手伝いに来てくれる。経営は低空飛行ながらも、素晴らしいミュージシャンと音楽好きとの出会いを重ね、濃密な2年間の営業をする。
2008年 37歳 音楽を通じての出会いの素晴らしさを味わいつつも経営状況は上向かず、原因を立地に求め烏丸三条へ移転する。この時、かぁちゃんと入籍。6度目の有頂天。
2009年 38歳 人通りの多い立地に期待を膨らませたものの、泣かず飛ばすの営業状況、飲食店として本腰を入れた改善に取り組む。経営立て直しに躍起になるばかり岩倉時代の音楽を楽しむ姿勢を失うも、その事に気付かず数年間ただ只管に経営に突っ走る。
2010年 39歳 長男を授かる。人生7度目の有頂天。片や経営状況は相変わらずで、家族を養う責任感から更に経営へと突っ走る。ホームページやブログ・ツイッター運営などに積極的に取り組むことで打開を目指すもイマイチ成果は出なかった。時はクラウド技術が普及しだしたころで、IT技術への関心が膨らむ。趣味的にIT環境を見直し、PCはLinux(ubuntu)、携帯はiPhoneを採用する。この時のLinux採用が後に考え方を柔軟にさせるキッカケとなる。ちなみにこのブログのテーマとなっている「オープンでフリー」な考えは、Linuxなどのオープンソース・ソフトウェアの考え方から影響を受けたもの。
2010年 40歳秋 ツイッターを通じて交流を始めた、TPOカンパニー社長の田井さんと共同で「カフェの文化祭」という企画をたて、京都を中心に数十店舗のカフェと地域フリー同時開催のイベントを実施。多くのカフェオーナーと交流する機会を得る。Cafe Jintaは5夜連続でカフェライブを開催。
2011年 40歳 東日本大震災により経営環境が悪化し、再び経営の立て直しに悪戦苦闘する。ブログ・facebook・ツイッターなどのネットを通じた宣伝活動に力を入れるも大きな成果得られず。
2011年 40歳 岩倉時代よりJintaを色んな形で支えてくれたオルガニスト「マンボ松本」さんが急逝する。マンボさんは京都の双子デュオ「The Twins」と古き良き仲間であり支えあう同士だった。このツインズとは時には一緒に演奏し、時にはチラシ作りなどの後方支援もしていた。マンボさんとはこのツインズを敬愛する気持ちを共有しており、マンボさんの思いを受け継いで「The Twins」の後方支援をしようと心に決める。同年7月「The Twins」ウェブサイトを完成させる。また、生前マンボさんとやろうと話していたネットテレビ「ジンたらカンだらwoooooマンボ!」を”三井ぱん”こと三井雅弘さん、ギタリストの宅間顕さん、カメラマン秦さん、イラストレーターのトモダマコトさんの力を借りて、月一度の放送を一年間行う。
2012年 41歳 多くのチャレンジを行うも成果がイマイチ得られず。店としてのネット活動を中止、価格・人員配置・料理内容・サービス姿勢・メニュー・看板などの本来飲食店として重要とされる点をとことんまで見直し、徐々に増えるお客さんに手応えを得る。
2013年 42歳 店の色んな要素について、多くの人の力を借りながら改善活動を継続的に実施。ボクはこれを「お店のチューニング(調整)」と読んでいる。
2014年 42歳春 花粉症治療のために行った耳鼻科で副鼻腔炎の診断、更に手術の必要を言い渡され、薬服用生活を送るも体調がどんどん悪化し、投薬治療に疑問を抱く。調べに調べ糖質過剰摂取があらゆる病の原因たる可能性を知り、糖質制限生活にはいる。身体のみならずメンタルも含め体調が著しく良くなり、糖質制限を健康管理の中心に据える生活を送ることにする。
2015年 43歳春 2015/3/9 オモシロタノシスト田井さんの助言で、「オノジンタ」の活動名を使いはじめる。オノジンタとしてカフェ経営の他にブログ・webページ・音楽などを通じての表現活動に着手する。
2015年 43歳夏 2015/7/1 住まいを京都から滋賀に移し、日々の暮らしを愉しむ生活が一歩前進。
2015年 44歳秋 2015/10/7 普通二輪免許を取得してライダーデビュー。44歳にして新しい趣味を得る。初バイクはスズキのGSR250。
現在 Cafe Jinta大繁盛とは言いがたく儲けも少ないが、それなりの安定状態(精神的にも)に辿り着く。「お店のチューニング」を継続的に続けつつ、本来の音楽・そして人生を味わい楽しむ気持ちを取り戻し、思うままに好きな活動をしながら、今日もこのブログを書いている。

こうして振り返ってみると、実に多くの人に支えていただいていると実感します。

ここまで見ていただけるなんて感激です。
ついでと言ってはなんですが、
もしよかったらこちらも訪れていただけると嬉しいです。

感謝の気持ちを込めてspecial thanks!

    家族のみんな/中学の同級生/高校の同級生/立命館大学の佐藤満先生/喫茶ブリッジのみんな/Turky Cock Brosのみんな/Invitation blues bandのみんな/Gathers no mossのみんな/バックビートのマスター/神主のコーイチ/クンちゃん/ネットで出会ったミュージシャンのみなさん/マンスリーブルースセッションを一緒にやってくれたシューイチ・カッチ・タカさん/セッションに参加してくださったみなさん/たけびしの上司・先輩・後輩・同僚の皆さん/菊田俊介さん/三菱電機のみなさん/手塚治虫翁/ブッダ/一休宗純禅師/二宮尊徳翁/松下幸之助翁/心療内科医坂本先生/GOMAさん/ゴスペルクワイヤJGのみなさん/岩倉Jinta時代のお客さん/桜井さんご夫妻/市川芳枝さん/芳枝さんジャズボーカルスクールのみなさん/鬼塚大我君とお父さんお母さん/府大ジャズ研のみなさん/山口武さん/山崎徹さん/岩倉Jintaのジャズセッションホストと演奏しに来てくれたみなさん/Tommyさん/奥田聡子さん/藤井ヒロシさん/Ryuuichi”boodooboy”Johnsonさん/大島ケイさん/須曽野豊さん/京都精華大学のみなさん/L.A.から応援してくれるガリン&ガロ/伊藤くん/TPOカンパニーの田井さん/ベジタリアン料理家のericoさん/ビーズ教室の有井さん/Jinta win-winプロジェクトに参加してくださったみなさん/yammyさん/チームyammyのみなさん/田中晴之さん/松本靖さん/小川進さん/”三井ぱん”こと三井雅弘さん/ギタリスト宅間顕さん/カメラマン秦さん/イラストレーターのトモダマコトさん/マミちゃん/Jintaに在籍中&在籍してくれたスタッフのみなさん/朱一保育園で繋がったみなさん/Jinta倶楽部のみなさん/ミシマ社のみなさん/バイクショップCaptainのみなさん/花田えみちゃん/ユキナさん/島田和夫さん/カサスリムさん/TheTwins小竹直さんと親さん/マンボ松本さん/Jintaに来てくださった全ての皆さん

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最終更新日:2015/10/21