鬱病で2年ほど廃人生活をおくっていた頃、ボクは手塚治虫の「火の鳥」と「ブッダを」繰り返し繰り返し読みました。
その廃人生活のおかげでボクは命観をじっくり考えることができました。
死んであの世に還った霊魂(魂)が、この世に何度も生まれ変わってくることを輪廻転生と言いますが、ボクはまだ霊魂とか魂というのが死後どうなるかというようなスピリチュアルな事まで考えることはできません。
夢も希望もない事言って申し訳ないんですが、ボクはこう思うんです。
僕らはいずれ死に、死んだら灰と成って、埋葬される。物理的には身体細胞の多くが空気中に拡散され、炭化した骨などは埋葬され、いずれは土に返る。
土に帰ったり空気中に拡散したボクらの身体の残骸の多くが、大地を通じて草木に吸収され、再び植物生命となる。
その草木も寿命尽き果て枯れて、分解されてまたそれが再び草木の一部となる。
それを幾度となく繰り返すうちに、たまたま動物に食べられることで動物生命の一部となる。
そして、動物として生涯の営みを行いまた生命尽きて大地に返る。
結局は大地と生命を行ったり来たりするだけなんですよね。
今はたまたま人間でいますが、それ以上の価値なんてなんにもない。
所詮、人間も食べられちゃうんです。吸収されちゃうんですね。
手塚治虫が「火の鳥(未来編)」で火の鳥に語らせてる言葉に心打たれたことを思い出します。
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宇宙生命は 形も大きさも色も重さもなにもないのです
でも、ただとびまわっているだけではありません
この宇宙生命たちは物質にとびこみます
するとその物質は はじめて生きてくるんです
銀河系宇宙のような大きなものから 惑星たち 地球も! 動物や植物
その細胞も……分子も原子も素粒子も
みんな宇宙生命がはいりこんで生きているのですよ
食べる・食べられるということは宇宙生命の営みそのものということなんですね。
飽食の時代を生きるボクらは色んな理由で、「何を食べるか」選ぶ事にばかり気を取られてしまいます。
だけど、本当に大事なことは「どう食べるか」ですよね。
生きるための努力なら一生懸命すればいい。
食べもしない努力はやめたほうがいいけどね。
ボクもいずれ食べられたり吸収されたりする身。
できたら美味しく「いただきます。ごちそうさま。」って言われたいなぁ。
活き活きと生きる命に吸収されたいなぁと思うんです。