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南無釈迦じゃ 娑婆じゃ地獄じゃ 苦じゃ楽じゃ どうじゃこうじゃと いうが愚かじゃ
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一休

ボクの生まれは枚方なのですが、家から10kmほど離れた現在の京田辺市に、一休さんゆかりのお寺「酬恩庵一休寺」がありまして、母に連れられて何度か自転車で訪れた覚えがあります。

当時はまだ小さかったので、お寺の雰囲気とアニメの一休さんのイメージが合わず、ふぅ〜ん位にしか思わなかったことが記憶の片隅に残ってます。

この「一休さん」のモデルとなった一休宗純という禅師。今回このブログで取り上げるのに、色々と調べたんですが、その人生があまりに興味深くて夢中になってしまいました。さすが一休さんですね、大好きになりました。

いわゆる「一休さん」としては将軍様や桔梗屋さんからの難問に頓智で鮮やかに切り返すというのがイメージですね。

でも、実在した一休宗純禅師は常識に囚われない破壊僧と言われていますが、欲に素直にありながらも煩悩に真っ向から対峙した、人間味溢れるお坊さんでした。

臨済宗の禅僧ながらも、戒律なんのその、酒を口にし、肉を食す、女性を好むばかりか男性も厭わず色好む、風貌は写真にあるように髪を剃らず髭を蓄え、僧衣もボロボロが常で、寺に永く留まらず庶民と親しく交わりました。

時は足利義満が繁栄を極めた室町時代の絶頂期、武士が貴族と変わらぬ華やかな暮らしを求め、僧侶までも権威主義になびき、誰もが我先に栄華を求め競いあいました。そんな時代に我知らずとばかりに庶民に仏の道を説きながら飄々と生きます。

しかし、内には権威に対する強い反骨心があり、悟りの証である印可を受け取ろうとしないばかりか、受け取ってないはずのその印可状が保管されていたことを知り、燃やしてしまったそうです。

このように信念に非常に頑なな人たったのですが、人に対する思いも強い人だったようです。20歳の時に当時師事した和尚が亡くなった際に自殺を図ったり、53歳の時にも同じ臨済宗大徳寺の一部の僧侶が権力争いの果てに投獄や自殺に追いやられたことを苦に山での断食死を試みたことがあります。

器の大きさも人並み外れ、浄土真宗中興の祖蓮如とは宗派を超えた親交があり、互いに尊敬しあう関係を温め親鸞200回忌に参列しています。

後年、活動の中心にした酬恩庵にはそうした人間味のある魅力的な人柄を慕って多くの人が一休宗純禅師を訪れました。

その後年でも一休禅師の好色は衰えず、70歳を過ぎてから出会った盲目の美人旅芸人・森侍者にベタ惚れし、亡くなるまでの10年の間は酬恩庵で同棲生活を送ったそうです。
晩年、勅命により半ば強引に大徳寺の住職にされてしまうのですが、大徳寺には住まず、森侍者と住まう酬恩庵から通い、住職を務めたそうです。

破天荒で自由なようですが、自らの悟りに忠実な人だったんだと思います。88年という長い人生を終え、最後は患ったマラリアにより息を引き取りました。

最後の言葉は、「死にとうない」

権力権威には徹底的に反抗し、人としての性に、最後の最後まで素直だった一休さん。会ってみたかったなぁ。

最後に一休さんが亡くなった後の、心温まるエピソードを1つ。

生前、弟子たちに「どうにもならない困難に出会ったらその時に開けなさい」と1通の手紙を渡しています。

数年後、いよいよその時が訪れます。弟子たちは藁をもすがる思いで手紙を開けたことでしょう。

そこに書かれていたことは、なんと…

「大丈夫。心配するな、なんとかなる。」

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