ボクにはもうすぐ5歳になる息子がいます。
子を持つ親なら誰でも教育のことに悩みをもつんじゃないでしょうか?
ボクもご多分に漏れずです。
子供たちが生きる時代が予測できないからなんですが、それって実は何時の時代にもある不安ですね。笑
20世紀は機械が人間の手作業の多くを自動化しました。
21世紀に入りコンピュータが人間の頭脳作業を代行するようになり、更に進化するスピードはまさに超絶です。
どうやら既に人工知能というものが市場で動き出しているようです。
日本の人工知能研究の第一人者である東京大学の松尾豊准教授は次のように指摘します。
今後コンピュータ技術は多くの第3次産業から雇用を奪っていくだろうと考えられています。
例えば英語。
こちらをクリックしてみてください。GoogleがCafeJintaの日本語ページを自動翻訳してくれます。
まだまだ英語としては意味が通じにくい箇所が多いのですが、そのおかしいところにマウスを持って行くと「翻訳を改善する」というポップアップが表示され、修正することができます。この修正内容はgoogleに送信され、「人口知能」に学習させるというわけです。
実際にやってみたんですが、すぐさま修正が反映されないのが残念なところですが、これはマシンの性能向上が解決する問題であることは明白です。
どんなにリラックスした文調で書いても精度の高い翻訳ができるような日が間近に迫っていることは容易に想像がつきます。
日本人の大卒者が平均的に受ける英語の総授業時間は1000時間だそうです。自習時間を合わせると、人にもよりますが2000時間以上でしょう。これだけ多くの時間を割いているにも関わらず、日本人の英語力は実用レベルに遠く及ばず、会話能力は3歳児以下というのが実情です。
単純比較できるものでもありませんが、英語を母国語とする人達は、日本の学生が英語学習に躍起になっている時間を、文法的な難解さを抱くことなく内容的に充実したコミュニケーションや思考をする時間として使っているはずです。
それならそれで、より多く時間を割けばいいという考えもあるかもしれませんが、そうこうしているうちに人工知能の出現で外国語学習の必要さえなくなり、その努力さえも甲斐のないことだったということになるかもしれません。。
AIが発達すれば、グローバル社会で生きるために、必ずしも英語は最低限必要なスキルとは言えなくなるとさえ、ボクには思えるのです。
また、インターネットによって、それ以外の学問的な内容についての多くの知識情報を、頭に入れなくとも扱える環境は整ってしまいました。
従来の情報詰め込み教育で、幅広い知識をもった常識人を育てることはできるかもしれませんが、実社会では人々の努力によって作り上げられてきた仕事を、コンピュータがあっという間にデジタル化して吸い上げ、自動化していきつつあることを、覚悟しておく必要があるように思います。
しかし一方では、自分の好きな事にとことん取り組んだ人達が世界でその実力を武器に活躍しています。
この動画の最後でNHKのアナウンサーに「日本のファンの皆さんに、日本語のメッセージをお願いします」と頼まれた川崎選手の返答に驚かされます。
川崎選手は既に自分は世界の中の一人であるに過ぎず、世界のどこかの国のアナウンサーが自分にインタビューしているに過ぎないと考えているのだと思います。
川崎選手はインタビューの時に自分用の会話ノートをカメラの前で堂々と捲りながら話します。そして少しづつ英語が上達していく姿をテレビを通じて届けてくれます。この動画でも決して上手だとは言えない英語から、その熱い気持ちが十分伝わります。
不器用なコミュニケーションを補ってあまりある情熱。
ユーモラスであること以上に川崎選手の意欲に満ちた生き様が人を魅了しているような気がします。
話が少し横道にそれますが、少子化が進んでるのにどうして受験戦争が加熱してるんでしょうかね?
経営難の崖っぷちに立たされた受験産業が、「小4から受験を始めないと間に合わない!」というプロパガンダを展開し、青田刈りのような受験生予備軍の囲い込みで、中長期的な顧客の確保をしようとしているとは思いませんか?
ボクには、10歳の少年少女を受験戦争に徴兵しているように見えてなりません。
小学生に川崎選手のような意欲や情熱を求めるのは、相当な無理があるように思います。
まだまだ好奇心が行動の原動力で、衝動にかられて色んな失敗や間違いをしたって、いいんじゃないかと思うんです。
意欲というような、衝動をコントロールした理性の働く積極性は、もう少し成長してからでいいんじゃないかと。
そんなまだまだ無邪気な子供の頭上に、興味さえあれば1クリックで手に入れられる情報を、絨毯爆撃のように投下すれば、むしろ好奇心に満ちた子供心は焦土なってしまうんじゃないかと危惧するところです。
もしそうなれば、好奇心を失い焦土と化した子供心は、いずれは意欲を燃やし逞しい精神として成長するはずだったのに、人間を食い物にする人工知能によって支配されちゃうんじゃないかな。
ネットゲーム依存症やSNS依存症、スマホ依存症、インターネット依存症などなど、コンピュータに依存している状態は人工知能による精神の支配そのものです。
デジタル社会の覇者となったスティーブ・ジョブズが自分の子供にiPhoneやiPadを触らせなかったのは今や有名な話です。
ジョブスは、人口知能は意欲を持った人間にとっては実に強い味方となるが、それらを持ち合わせていない人間にとっては有害である、と考えていたのかもしれません。
小学4年からの受験戦争は、子供のスマホ使用と同様に、情報の絨毯爆撃を浴びるようなものという点で同じなのではないでしょうか?
と、まぁ、仮説ばっかり立てちゃってるわけですが、現在の学校教育制度において、実際に子供を知識詰め込み教育から隔離することも難しければ、授業にタブレットを導入する時代に、それを触るなというのも無理な話。
私もこうしたことを考えるようになる前、息子がまだ赤ちゃんのころにiPhoneを触らせてしまい、今でもちょっとした空き時間に触れたがります。
もう既に失敗をいっぱいしているなぁと思うわけですが、修正はいつでも可能であるとも考えています。
子供に芽生えた好奇心を、意欲を燃やして挑む姿勢を、子供にあわせて見守り応援してやりたいと思うのです。
好奇心から生まれた夢は、それに向かう意欲を漲らす。高まる意欲は苦しい努力を楽しみへと昇華し、その行く道を幸福と成す。
虚栄心から生まれた目的は、達して一時の欲望を満たす。飽くなき欲望は苦しい努力を安易な手段とすり替え、道に迷いて虚無に至る。