「私、頑張るのやめてん。」
昨日、友達が店に来てくれて、そんな会話になった。
彼女は今、あるお店を任されて、すべてを切り盛りしているんだけど、その働きっぷりが男前なんです。
オープンしてからこの1年、オーナーさんからの期待値を達成するどころか、常に200%の実績。
オーナーさんはこの実績を高く評価し、「更に上を目指しましょう!」とヒートアップ。
友達は「これ以上売上を優先させれば仕事のパフォーマンスが落ちる。」と訴えるが聞き入れられず。
直近の実績は期待値の300%まで実績を上げているという。
日本人は「頑張っている人」を見ると実に感動しやすく、おそらくこのオーナーさんもボクの友達に大きな感動をしているんだろうと思います。
当の本人はどうなんでしょうね?
頑張りたくって頑張ってるんじゃなくて、頑張らなアカンから頑張っていることってよくあるんじゃないかな。
そう考えるようになると、オリンピックやワールドカップなんて、異常なまでに頑張らせたがるあの空気はなんだか不気味ですらありますよね。
それは本当に日本人が永く培ってきた精神なんだろうか。
ペリーが来航する以前の日本人はこんなに頑張ってなかったんじゃないかな。
確かに頑張った日本は華々しい実績を上げた。今の日本があるのはこの「頑張り」によってなされた結果であることは間違いないと思います。もちろん、ボクも先人たちの頑張りに感謝する一人です。
でも見落とせない点があります。そこには「頑張らないとアカン」という前提があったということ。
頑張らないと植民地化されちゃうという前提がありましたからね。
今その前提があるかどうかはわかりませんが、もう「頑張る」ことで回避できる時代じゃなくなってるんじゃないかな。
むしろ、行き過ぎた頑張りの精神で得た成功が、何かの弾みであっさりと消え去ってしまったというお話をよく耳にします。特に外飲食産業に多い話ですが…。笑
今、世界で成果を上げている経営者の多くは、頑張ったのではなく「没頭」して取り組んだ結果、成功を手にしてますよね。
日本を代表しているスポーツ選手たちも頑張ってるんじゃなくって、好きなことやり甲斐のあることに夢中で取組めたからこそ、勝ち抜いていってるんじゃないかな。
そうできる環境を提供することこそが本当の意味での応援なんじゃないかと思うんですよね。
日本だって「頑張れ頑張れ」だけじゃなく、本当の意味での応援ができることもこれまた事実ということなのでしょう。まだまだ一部なんだろうけど。
頑張ることを辞めたボクの友達が、「夢中」になれるようになれば、幸福になれるのかどうかはわかりません。
だけど「頑張るだけ」のところから、少なからず幸せに向かって歩みだしたんじゃないかな。