Jinmas chips

真面目がバカバカしく気恥ずかしい世の中から清廉潔白を是とするために
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CafeJintaのFBページでポストしてたのですが、先日夜にCafeJintaの看板が蹴り倒され、損壊されるという事件がありました。
幸い、通りがかった正義感のある男性が、蹴り倒した人物を追いかけ捕まえてくださりました。

その後、看板を蹴り倒した人とは数回にわたり、話し合いを重ね、当人は深い後悔と反省をするに至り真摯な謝罪姿勢をとられたので、最終的に清廉潔白の大切さを確認し合い、今後このようなことのないように互いに行動していこうという合意で事態は決着しました。

今回の出来事については家族とも話し合い、清廉潔白ということについて色々と考える機会となりました。

さて、ここからが本題です。

今、世の中にはこの本来最も当たり前として存在しなければならない清廉潔白が非常に薄らいでいるように思います。

僕自身も親から清廉潔白であらねばならないことは重々と言われてきたのですが、本音を言えば若いころは特になんですが軽んじてました。
たとえば、スピードオーバーした運転とか、道にタバコの吸殻を捨てるとか・・・。
刑事犯罪や麻薬に手を染めるようなことはないにしても、後ろめたい気持ちを持ちつつも「このくらいいいだろう」という感覚でしちゃってました。

その心理には、見つからなければ、捕まらなければ、判らなければ、ちょっとくらいのことは皆もやってるんだからいいだろうというものがあるように思います。清廉潔白であることは大事なこととわかっていても、弱い心によって挫けてしまうんですね。
真面目にするということが気恥ずかしかったり、バカバカしく思えたりする心理というのも、存在しているように思います。

また、ふと周囲に目を向けても自転車の盗難や他人の傘の持ち帰りなどといった事が、当たり前のように身の回りに発生します。実際私も先日自転車を盗まれたばかりです。
テレビを見れば政治家の不祥事報道が当たり前に流れます。御高説を垂れていたあの人があのざまなんてのが毎日のようにテレビ番組の話題になってます。
今、世の中はそういう人を見つけては叩き、探しては叩き、バッシング社会とでもいうのか、そういう感じです。もちろん叩かれる側に「否」がないわけではありません。

ただ、叩いている側にも「是」もないような状態です。

もっと言えば、今の世の中に「是」がない。

これが是なんだというコンセンサスがないんだと思うんです。

是とするものを世の中が合意していなければ、そりゃぁ政治も迷うことになるでしょう。教育も当然の如く迷う。一部の大手テレビや新聞などは、もう無茶苦茶としか言いようがない有り様です。

若者も迷うし、年寄りも迷う。男も迷えば、女も迷う。

僕もご多分にもれず、とことん迷って生きてきました。

どうしてこうなっちゃったんでしょうね?

私は最近はこう思うようになりました。世の中のもっとも影響力のある存在(パワーバランス的に)が「否」をはたらいているからではないかと。。。

15世紀半ばヨーロッパから出てきたある一部の人々がはたらいた「否」は人の心の弱さにつけこんで支配を広げ、未だに我々はその支配の下にある状態なのではないでしょうか。

この「否」は人々の欲望を利用し、その欲望を満たさんがために殺戮や搾取・強奪を繰り返してきた。
ざっくりと言えば、大西洋を渡ったある人々が南北のアメリカ大陸に上陸し、そこに住む人々の命と土地を奪い、そこにアフリカ大陸から多くの人々を酷使すべく鎖につないで連れていき、更に飽き足らず太平洋を渡りって洋上の小さな王国を飲み込み、東洋の列島国に対しては大量破壊兵器を使用してその国の精神性をずたずたに引き裂き、更に西に進んで対テロ戦争というもはや自作自演とでっち上げの勧善懲悪戦争で、そこに生まれた人々の平和に生きる権利を未だに略奪している。

我々の住むこの世の中の最も大きな影響力をもつ存在が佞悪醜穢の限りを尽くして久しいということ。

これこそがまさに清廉潔白を世の中においてもっとも大切なものであるにもかかわらず、空しいものとさせている最大の原因なのではないでしょうか?

2011年10月 オバマ大統領はイラクからの撤退を表明した。つまり西に進み続けた「否」は膨張の限界に達したことを意味するのだろうと思います。限界まで膨らんだ風船はかならず萎むことは歴史が証明しています。

その縮小路線を更に進めようとしているトランプ氏が清廉潔白の人であるのかどうか、それは僕にはわかりませんが、世界情勢は「否」にとって代えて清廉潔白を「是」として据える絶好のチャンスにあるように、私は考えています。

その意味で、敗戦後の占領統治下で制定された現憲法について改正を議論し、自国民によって憲法を見直そうとする動きは、今後の国際社会を清廉潔白に導いていく重要な礎となるはずです。

1945年に生まれた赤子のような日本ももうすでに71歳です。

ひとつ腰を据えて本気で考えてみる時なのではないでしょうか?

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