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広島、出雲への家族旅行と平和への願い
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久しぶりのブログです。

今日は8月6日、広島にウラン型原子力爆弾が落とされた日ですね。
僕達家族はきょうの日に先立って、広島の平和記念公園へ行きました。

今年の夏休みの旅行先にここを選んだのは、小学4年の長男の希望でした。
彼は毎年夏休みの自由課題として世界の国旗を画用紙に描き平和を願います。

広島に行った彼の目に映った広島はどんなだったのだろう。

僕もこの地には中学校の修学旅行で行っていますが、当時の僕には正直ピンとくるものもがなかった。
たぶん平和が当たり前で揺るがないものと思い込んでいたんだろう。なんというか過去の遺産を漠然と見ていただけだった。
その後も高校、大学、社会人、独立して自営業者へと自分の成長と転身の過程でも、つい最近まで平和を疑うことなく生きてきた。
その間、日本や国際政治の舞台では色んなことがあった。
若い頃の出来事で記憶に大きくあるのは昭和天皇ご崩御、天安門事件、東欧とソ連などの共産主義国の崩壊と冷戦の終結、阪神淡路大震災、オウム事件、バブル経済の崩壊、一部の北朝鮮拉致被害者帰国、世界同時多発テロかな。
こういう出来事を僕はテレビのブラウン管(液晶テレビではなく…)を通じて見てきた。今思えば自分は平和という客席からこれらの出来事を壮大なニュースドラマとして他人事のように視聴していたと思う。唯一バブルの崩壊は就活に大きく影響があったので、他人事ではなかったが…。

そんな自分の意識が大きく変わったのは東日本大震災だった。前提としてインターネットから情報を得るようになったということがあると思う。
あの地震のあったあの夜、遠く関西にいる自分でもなんとかできることがあると信じ、ツイッターで生存者情報や助けを求めるツイートを必死でリツイートしていた。
社会で起きている出来事を自分事として受け止め、行動を起こした初めてのことだった。
その後、原発事故が起こり放射能漏洩に関する情報は混乱を極め、玉石混淆のネット情報の中でいったい何が嘘で何が真実なのか、選択の第一分岐点でいきなり立ち止まっている自分の不甲斐なさを痛感した。
それまでは右だの左だのという政治スタンスを持つことに興味のない一人前の浮動票ホルダーだった自分に、このままではいけない、息子に親としての責任を果たすことができないと思うようになった。

あれからもう9年が経った。ネットの情報は相変わらずの玉石混淆状態だが、近頃はそんなネット情報にも惑わされることがなくなり、真偽の取捨に困ることはなくなった。
そして、それと同時に、悲しいかな、無情のリアリストとならざるをえなくもなってしまった。

さて、そんな近頃、日本は大きな転換点にある。
今日はその中の一つの話題について触れてみようかな。

ズバリ、日本の核政策について。

広島が被爆して74年が経った今の日本は、アメリカの核の傘の下にある。
戦後当初は日本を傘の下に置くことで、日本を封じ込めつつソ連共産主義の拡大に対抗しようとした。
しかし今、すでにソ連はなく、中国が台頭しアメリカは完全に中国共産党の覇権主義拡大を警戒し、アジア地域の安定のために様々な手を打っている。中国への経済戦争や北朝鮮に対するアメムチ外交とアジア地域の安定に相当手を尽くしている。しかし、アメリカはいつまでもこれを自国の責任とは考えていない。トランプ政権になってアメリカはこの一端を日本が担うことをはっきり望むようになってきた。
石油を運ぶシーレーンの護衛問題も同様だ。

アメリカがはっきりスタンスを変えている今、日本が今までのまま幻想の平和にとどまり続けることはできないのは明らかだ。

ロシア、中国、北朝鮮は日本の都市と在日米軍基地にボタンひとつで落とせる核を配備していると思われる。
彼らは我々の喉元にいつでも銃口をつきつけながら外交をしているわけだが、尖閣や北方の領土問題や北朝鮮拉致問題などはこうしたことを背景に、日本がこれらに対峙できるカードがないのが原因だ。
そして、自衛権の発動すら超えられないハードルとなっているのをいいことに、問題は静かに少しづつ深刻な状況へ進み続けている。
ロシアは北方四島を完全に領土として固定化させていき、中国は尖閣にとどまらず沖縄へも様々な工作で静かに侵略を進める。北朝鮮は外から一見バカバカしく見えるようなミサイル実験で表面的な注意をひきつつ、メディア産業に浸透し周到な手口で中から韓国同様に日本を中から蝕んでいる。
これらは将来起こりうることではなく、現在進行形なのだ。

私は今からこれらの現在進行を食い止める作業に入らなければ、将来他国に侵略され日本という国は存在を失うことになるという危機感を強く持っている。

現在の国際関係事情を現実的に受けとめて、国内で活発な議論をしなければならない。
大変残念ではあるが平和は理想を語っていても維持できないということを、共通認識にしなければならない。

その上で、抑止力としての核武装をタブー視せずいかに自衛すべきなのかを議論すべきだ。

情報化が進んだ今はこうした議論が巻き起こるだけでも、他国の対日政策に非常に大きな影響力を持ち抑止力を発する。

反戦に異論があるわけではないが、平和を保つためには現実問題という壁を力強く越える覚悟ももたなければならないと思う。

冒頭に広島への家族旅行のことを書いたのだが、翌日は中国山地を縦断して出雲大社を訪れた。
これ以上ないというほど青く澄みきった空にはためく日の丸は本当に美しかった。

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