時は金なり
Time is money
アメリカ建国の父の一人、ベンジャミン・フランクリンの言葉として有名ですね。
時間というのはとっても大切なものなんだ。そういう意味でよく使われますね。
僕もそう思ってました。
だけど、最近なんだかしっくりこない気がしてきました。
時間が大切だということを受け入れるために、この言葉を鵜呑みしてきたことに気づきました。
そして更に、この言葉によって、僕達は道をあやまるんじゃないかという危惧。
時間が大切だというのはもちろん同意するんだけど、それを本当にイコールで金銭に置き換えていいのか?
時というのは、金銭なんていう人間が生み出した、人間にしか通用しない”価値”などというものではない。
あらゆる生命、いやむしろありとあらゆる物質が共有する普遍だ。
にもかかわらず、金という特定の存在しか使用しないもので価値を量る、これは非常に危険なことじゃないだろうか。
ベンジャミン・フランクリンは、そうしたことを意図してこの言葉を発したのではないでしょう。
大切なものだということを、表現するためにベストな言葉だったんだと思います。
そんなことくらい僕も大人なのでわかってます。
だけど、そこら辺の微妙なところを理解せずに、この世の中は「時は金なり」になっちゃってる気がします。
だから敢えて言いたいんです。
「時は金なり」ではない。
あなたの”時”を置き換えるとしたら何ですか?