Jinmas chips

PARASOPHIAは芸術人だけにとってのアートイベントではない。 ハイタテキに対する世界の現代芸術家たちからの提案だ。
↓に
 

先日、大阪で不動産業を営む男性が来店され、朝イチ珈琲を飲みながらお話する機会があった。

話の中で「京都好きなんやけどなぁ。なんか苦手やわ。」という事をおっしゃった。

理由は「なんかハイタテキ。」

確かに「一見さんお断り」のお店が多いのは京都で、そういう意味で排他的なイメージがつきやすいが、その男性は祇園は好きでよく行かれるそうなので、そういう商売上の応対がハイタテキだという訳ではないようだ。

京都の街の真ん中で店をやっていると、世界中から沢山の人が何に期待して京都に集まっているかがよくわかる。それは伝統美なんだろう。京都という1221年の時の刻みを感じさせる街には、有形無形の伝統美がいたるところにある。その伝統美は他との交流を拒絶し頑なに相伝しながら磨き上げられてきた。

異国・異文化との交易交流を広げることで発展してきた西洋とは、まったく異なった伝承という発展を日本は遂げてきた。そんな日本も1854年の開国以来西洋化が進み、伝統の相伝が徐々に廃れていったが、京都には伝承を重んじる文化が、根強く残っている。それが今や日本の中では異質なものになりつつあるということなのだろう。

その異質さが京都以外の日本人にとっては「ハイタテキ」であり、世界から興味をもって京都に来る外国人には「エキゾチック」に、良くも悪くも特有の空気を作っているのかもしれない。

話はガラっと変わるが、今年の3月7日から京都ではPARASOPHIAという国際的な芸術祭が開催される。
世界中から最高峰のトップアーティストが集い、京都の街を現代アートで彩る。

思うにこれは、時を刻む中で発展してきた縦軸文化の京都に、現代の芸術文化が世界という面から京都という点に集結するという、ある意味京都が拒んできた、横軸の交流による発展の可能性への試みと言えるかもしれない。

主催者はこの開催に向けてアーティストの殆どを京都に招聘し、参加アーティストたちは京都の歴史や伝統に触れ、新たな作品に挑戦したという。

開催に先駆けた2年間の準備期間のうちに京都のあちこちで、プレイベントを行い準備してきた。

その中で、1年前に旧・立誠小学校で開催されたウィリアム・ケントリッジの作品展示に6000人近い来場があった。展示作品が話題作『時間の抵抗』であることが実に興味深い

PARASOPHIAのアーティスティックディレクター河本信治さんがインタビューでこのように語っている。

    ART iT(インタビュアー)>
    京都は街自体がかなり魅力的ですから、エキゾチシズムになびいてしまう、そして、そうした要素を少なからず外から期待されているのではないでしょうか。

    河本信治>
    とてもいい質問ですね。たしかにかつては外からの期待というものがあったと思います、京都に対するエキゾチシズムですね。しかしいま私が直面しているのは、かつて外から投げかけられたエキゾチシズムが内在化されたもの、つまり私たち日本人の中に刷り込まれてしまった自分自身に対するエキゾチシズムです。エキゾチックな京都を最も望んでいるのは、もしかしたら京都に最も近い日本人たちではないでしょうか。PARASOPHIAが自分の中に刷り込まれたコロニアルの視線というものを客観的に、冷静に見つめる機会になれば良いなと考えています。

PARASOPHIAは時間の積み重ねを縦の通りとするならば地域の広がりを横の通りとし、「時の刻み」と「地域の広がり」がクロスする、京都ならではの刺激的な芸術祭になりそうだ。

CafeJintaは、ご縁(※)あってこのPARASOPHIAに連携して、京都を文化や芸術がジャンルフリーに交流する碁盤の目に見立て、新たな捉え方をしようとする活動 Art Grid Kyoto の主催する語らいの場としてご利用いただいている。

そこでは、参加者たちが、伝統的である現代的であるを越えて、芸術を通した未来を、時に熱く時に冷静に語り合っている。

元々ボクは現代アートのみならず美術にはあまり関心がない人間なのだが、このご縁で新しい興味を抱ける幸せをいただいた。

まさにハイタテキだったボクはPARASOPHIAを通じて、新しい人生の楽しみをこれから持てるような気持ちになっている。

そして、その体験を通じて思うこと。

PARASOPHIAは芸術人だけにとってのアートイベントではない。

ハイタテキに対する世界の現代芸術家たちからの提案だ。

※ アートエキシビション・京都(ART GRID KYOTO)実行委員会 委員長の佐野さん、本当にありがとうございます。

 - カフェ経営-cafe work, 雑記-diary