Jinmas chips

激しく変化する世の中に、逆らわずさりとて自失せず、カタツムリの如くたゆまぬ歩みを刻むこと。希望への道筋というのはそういうものなのかもしれません。
↓に
 

『たゆまざる 歩みおそろし かたつむり』

彫刻家 北村西望が長崎の平和祈念像を製作している際に像の足元で見たカタツムリが翌朝9mもあるてっぺんにいたことに、大きく感嘆し詠んだ句だそうです。

長崎原爆投下から10年後に完成したこの祈念像の制作に、北村西望は平和への願いを強い決意と意気込みを持って取り組んだそうです。

北村西望が長崎滞在の際にお世話された料亭青柳さんのサイトにはこのように書かれています。

    昭和25年(1950年)長崎市は翁(北村西望)に原爆犠牲者の冥福を祈る記念碑作成を依頼。
    しかし、翁は記念碑ではただの記録にしかならないと考え、同じ長崎県人として悲惨な戦争をなくし世界平和を祈るため一歩進んだ記念碑を希望。
    そして彼の意見が受け入れられます。
    しかし完成までの道のりは険しく技術面や予算面と問題が山積。
    一つ一つ多くの人々の協力で解決するのです。
    さらに非難中傷も起こり迫害が激しかった事は意外に知られていない事実です。
    そうした苦労の末、昭和30年8月8日、現在の姿が誕生するのです。

この像が完成した1955年当時、被爆者への助成は法律化されておらず、被爆者が実費での治療を強いられていたその時期に、多額の費用や時間と人出をかけて制作されたため、像制作への批判があったそうです。

そうした苦難を乗り越え完成させた巨大な像を、一晩かけて小さなカタツムリが頂上にまで登った姿に、未来の人類最高の希望とは如何にあるべきかという想いを重ねあわせたのかもしれません。

毎年のように新聞紙の新年号には、「イノベーションが必要」「革新」などと言う文字が踊りますが、果たしてそうした劇的な変化が最も期待できる明るい希望なのでしょうか。

2008年3月に携帯電話事業からの撤退を発表した三菱電機の当時の社長だった下村節宏さんはカタツムリ経営を標榜し、まさにこの「たゆまざる 歩みおそろし かたつむり」を座右の銘とされているそうです。

三菱電機が撤退を発表した3ヶ月後にiPhoneの日本発売が発表されました。

世界にスマートフォン旋風が吹き荒れる最中、三菱電機は培った経営資源を他事業へ戦略的にシフトし、大手電機メーカーが軒並み赤字転落する中で着実に業績を伸ばしました。

下村社長はその決断について、報われない過当競争にあっても努力を続ける社員たちを、疲弊させまいとし、売却せずに撤退することを選んだ、とその理由を語っています。

下村節宏
カタツムリ経営を標榜した下村節宏三菱電機相談役

日々話題になる「イノベーション」たちはボクたちの生活を劇的に変化させていきます。それらは非常に便利で、使っているだけで楽しく、時間を忘れてしまうような魅力があります。しかし、それらはまた同時に多くの時間を浪費させ、ややもすれば心を疲弊させる、破壊力を有しているようにも思います。

激しく変化する世の中に、逆らわずさりとて自失せず、カタツムリの如くたゆまぬ歩みを刻むこと。希望への道筋というのはそういうものなのかもしれません。

平和祈念像の裏に刻まれた作者の言葉
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

    あの悪夢のような戦争
    身の毛もよだつ凄惨悲惨
    肉親を人の子を
    かえり見るさえ耐えがたい愼情
    誰が平和を祈らずにいられよう
    茲に全世界平和運動の先駆として
    此平和祈念像が誕生しました
    山の如き聖哲それは逞しい男性の健康美
    全長三十尺
    右手は原爆を示し左手は平和を
    顔は戦争犠牲者の冥福を祈る
    異人種を超越した人間
    時に佛時に神
    長崎始まって最大の英断と情熱
    今や人類最高の希望の象徴

         昭和30年 春日 北村西望

 - カフェ経営-cafe work, コンピューター-computer, 生き方-life