今、ウチの息子は4歳でもうすぐ5歳になります。
自分のしたいことに対する執着心もかなり強くなってきました。
保育園がお休みの時などにお店に連れて来ると「マイクとマイクスタンド出して〜」とせがみます。
以前、ウチでライブをした時に、空いた時間にマイクを触らせてやったんですが、アンプを通してリバーブが掛かった自分の声の気持ちよさに味をしめてしまったんですね〜。
The Twinsとのアドリブセッション。「むか〜し、むかし、お爺さんとお婆さんがいました〜♪」
まぁ、そう悪いことでもないんで、お店のオープン前なら使わせてやるんですが、時折お客さんの前で歌いたがるんで困っちゃいます。
ボクが「お客さん、ご飯食べてるし、うるさくできひんやろ?今はダメ。マイク無しで外で歌ったらどうや?」と何度言っても、気持ちは治まりません。あまりに治まらないもんだから、「なんでそんなにマイクで歌いたいんや?」ってつい聞いちゃうんですよね。
「だって、歌いたいねん!マイクで歌いたいねんっ!!!」
あの時のマイク体験はおそらく息子の中で大きな何かになってるのかもしれません。
息子の気持ちもわかるので、出来るだけ遊ばせてやりたいとは思うんですが、営業時間中に「じゃあ、どうぞ。」といつでもマイクを出してやるわけにもいきません。あの手この手で、なんとか、どうにか、騙し騙しで、気持ちを切り替えるように言い聞かせるわけです。。。
そんな親子のせめぎ合いをしながら、ふと思い当たるんですよね。
『強力な理由は力強い行動を生む。』 by ウィリアム・シェイクスピア
だって、やりたい。とにかくやりたい。理屈じゃなくてとにかくそれがしたい。
それは力強い行動を生むとても強力な理由だなと。
高校時代のボクはろくに勉強もせずにギターばーっかり弾いてました。
ギター持って高校に通学するボクに、両親もまぁよく忍耐強く我慢してくれたもんです。さすがに受験前になると喧嘩にもなりましたが。笑
その割にはボクは根性がなかった。「ギターで食っていってやる!」と突っ走る勇気がなかったんですね。
進学→就職以外の人生を描けなかったから、想いを封じ込める形で消極的な選択をしちゃった。この「とりあえず」的な選択をしたことが、後々大きな悩みに膨らんでいったというわけです。
Jinmas年表を作った時に振り返ってみて思いましたね〜。七転八倒でいつまで転げまわるんだろうって。
膨らますべきは「強力な理由」だったんです。
なのに随分長い間ボクは「強力な理由」を蔑ろにしてきました。
そりゃ就活に苦戦もするし、鬱にもなるし、泣かず飛ばずのカフェ経営になったりするわけです。
実は先日、あるウェブマガジンを見ていて、ボクと歳は近いんですが、京都から大きく羽ばたいた加藤さんという人のことを知ったんです。
「SCRAP」というフリーペーパーを立ち上げて「リアル脱出ゲーム」という企画が人気を博しています。
スゴイなぁと思って加藤さんのブログを覗いてみたんです。するとちょうど40歳になられたそうで、30歳〜40歳の10年間をザッと回想されてたんですが、そりゃぁもう眩しいくらい真っ直ぐ突き進んだ10年間なんですよね。それ以前のことはわかりませんが、「強力な理由」をもって進んできてはることは想像に難くないわけです。ホントかっこいいですよ。ボクとは大違い。笑
加藤さんの取り組む姿を拝見して、なぜだかスッキリした。
あまりにわかり易い「大違い」の生き様がありますから。
同時に、それでいいじゃないの、今から始めたら。そう思えたんですよね。
世の中にスゴイ人はいっぱいいます。ボクもまだ諦めたわけじゃない。だけど不思議と焦りはないんですね。気負わず自分なりにやっていこう、それでも全然大丈夫って思うんです。
だから、加藤さんみたいな人に素直に興味を持てるようになったんだろうなと思います。
薄々と思っていたんです。敢えて目を逸らしてたのかもなって。「強力な理由が力強い行動を生む」ということに。
この歳になって、やっとそれを素直に考えられるようになってきた。ちょっと遅かったけどね。笑
齢四十三、夢を見るには少し歳を取り過ぎちゃったかもしれませんが、歳なりにスリムになった夢も悪くない。
小さくなっちゃった夢かもしれませんが、枯れて散るまで追いかけていこうと思っています。